過去よりも未来
今から27年前になりますが、私が18歳の時に父は43歳で亡くなりました。
母は、当時多くの現場を抱えてたので辞めるにも辞められず(笑)工務店を引継ぎ、
私は、工務店の2代目でチヤホヤ甘やかされる事無く、建築の教育を受け設計事務所で笑ってしまうような薄給で辛いこともたくさんありましたが迷い無く建築を学ぶことが出来ました。
今となっては多感な時の父の死でしたが、すがる人も甘えることも出来なかったお陰で今の打たれ強さやポジティブな自分があるんだなーっと、父には本当に感謝しています。
ただ一つ心残りなのは、父親とお酒を酌み交わすことが出来なかった事です。
鹿児島出身の父が好きだった芋焼酎(白波)は飲みませんが、あと6年後息子が成人したら一緒にお酒を飲みたいと思っています。
基本、「過去なんか戻ってこないんだよー。未来を見ようぜーほれ工程表!」という考えの私ですが、
珍しく過去を懐かしんでた模様をお届けします。
■さいたま市岩槻区 H邸
◇父が40年前に建てたお宅に伺い。。。
◇「当時、仕事を終えた父とHさんで酒盛りをしょっちゅうしていて母と一緒に車で父を迎えに来た記憶が甦りましたよ!
今だったら考えられませんよねー。今度僕と飲みます?」てな懐かしい話をし、
父の作った建物のリフォームの相談を息子の私が聞き。。。
◇畑で大根を引っこ抜いてくれました。
■久しぶりに父親を思い出したので、アルバムを眺めていました。
姉が2.3歳なのできっと1973年頃(45年前)かと。
■オートバイに娘を載せるだけならまだしも、ノーヘルで笑顔。。。
自由ですね。
そういえば私が4.5歳の頃、父親とオートバイに乗って(もちろんノーヘル)東川口の大門という場所にカブトムシを採りに行って警察に父親が怒られてた記憶があります。
自由ですよね。
■最後の二人の写真かな。。。
父43歳、母45歳。姉さん女房だったんです。
■あれから27年。
母はシンクにペッペッとしながら舌を歯ブラシでしごいていました。
柿をかじったら渋かったらしいです。
※お父さん、食いしん坊の妻のチリ子は元気です。
■あれから27年。
今年の忘年会は私の妻も参加し、脱線気味な私の冒頭の挨拶から始まり例年通り朗らかに終えました。
※お父さん、来年は創業40年目です。
どこに出しても恥ずかしくない粒ぞろいの業者さんが整いました!
40年目を一緒に迎える事は出来ませんが、居なくても大丈夫なのでご安心を!!